しかし、日本はフラックシップキャリアである日本航空が会社内の反対によって飛べなかった。

【民主応援します】韓国経済崩壊【国歌否定します】
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623:藍◆3UamXZBPyE 03/23(火) 21:02 yrffXLST0 [sage]
イ・イ戦争時のトルコ航空の協力について。

イラン・イラク戦争時、サダム・フセインはイラン上空を飛ぶ飛行機は民間機であろうと無差別に攻撃すると宣言。
猶予時間は48時間、各国はイラン領内からの脱出を早急に進めていた。
しかし、日本はフラックシップキャリアである日本航空が会社内の反対によって飛べなかった。
対応は遅れ時間が少なくなり事態が絶望視されていた時、トルコ共和国から一本の電話があった。
「わが国の最終便に空きがある、そちらに利用される予定はないか」と。

トルコ航空最終便を二機増やしたトルコ政府の判断であった。
外国人の生命を助けるというプランだったため、トルコ航空内ではこのような通達があった。
「この任務は断っても良い、今後の考課に影響はしない」と。
しかし、機長を含む乗務員はみな志願しこの任務に参加した。

日本人212人を含むトルコ航空機が離陸する際、機長はこう言った。
「このフライトに安全の保証はありません。しかし、無事に着陸できた場合乗客の皆様と乾杯したい」と。

暗闇の中飛行機は飛ぶ、時間だけが過ぎていく。
機長が機内放送を通じて、ある報告をした。
「今、当機はイラン領空を通過しました。皆様と乾杯が出来そうです」と。
猶予時間が残り一時間を下回った時のことだった。

そのころ、在イラントルコ人は陸路でイラン領内から脱出をしていた。

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