日本人を被差別者とする「日本人差別」の判断基準

【政治経済】平成床屋談義 町の噂その552


16:09/23(月) 22:20 JcFpxPWB [sage]
差別は、差別を受けた者からの告発があって、初めて「差別」として現象する。これは差別問題を考える
上での基本でもある。差別する側は、誰かに「痛いから、何とかして。」と非難されない限り、差別して
しまっている自分の姿に気がつかないのである。

日本人差別がなぜ今まで現象していなかったかと言うと、日本人自身が「差別(人権侵害)を告発しなか
ったから」「加差別者の政治的暴力を告発しなかったから」という側面が大きい。無論、戦後体制に埋没して
いる日本人は、自分たちが被害者だと気付かせてもらえなかったので、告発できなかったという側面もある。
その問題も含めて、これからの日本人は厳然として存在する戦後体制という構造的暴力に対して、
厳しく糾弾していかなければならないのである。

ちなみに日本人を被差別者とする「日本人差別」の判断基準としては
1 戦争の結果による日本人差別 (国際問題)
2 華夷秩序による日本人差別 (民族差別)
3 白人主義による日本人差別 (人種差別)
4 逆差別による日本人差別 (国内問題)
などが挙げられるかと思う。

戦果による差別は差別と認められるのか?という問題があるかもしれない。確かにこの問題は
政治的な要素が強い。あえて言うなら「政治的差別」「政治的人権侵害」というべきか。
また「戦果による差別・構造的暴力」とは言うものの、この日本人差別と同種の暴力は戦後に始ま
ったわけではなく不平等条約などの時代より戦前から一貫して日本人を苦しめてきた政治的暴力と
同一(同種)のものとして考える事が出来る。日本人差別を告発する運動は、ある意味では大東亜戦争を
決断したかつての大日本帝国と同じ精神であり、その告発は敵の暴虐によってねじ伏せられたが、
まさにそれゆえその告発には正当性があったのである。

日本人差別が起こっている現場では、加差別者側から「戦勝国と敗戦国を区別するのは当たり前です。
区別と差別は違う!」などと言われるかもしれない。「区別と差別は違う」とはどこかで聞いた台詞である。
そう。この台詞は加差別者に言わせなければならないのだ。まさに「区別と差別は違う」という言い方で
日本人差別を正当化しようとする政治的暴力こそが、「日本人差別」そのものだからである。
 

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